「子どもの勉強」やる気にさせる必要はない【やる、やらないの問題】
どうもこんにちは。マサトです。
僕の記事を見に来てくれてありがとうございます。
さて、突然ですが子どもに勉強をさせるのって難しくないですか?学校の宿題とか塾の宿題とか机の上に置いたままでゲームなんかしたりで……。
もっとやる気を出してくれたらな、とか、やる気の出し方はないかな?とか、そんなことを考えるのが親心ですよね。
でも僕は、子どもが「勉強をやる気」になる必要はないと思っています。
ということで今回は「子どもの勉強」やる気にさせる必要はない【やる、やらないの問題】こういったテーマで記事を書いていきます。
ちなみに、僕には小学生の子どもがおりまして、時にやる気がなさそうですが毎日机に向かって勉強をしてます。
【本記事の内容】
- 「子どもの勉強」やる気にさせる必要はない
- 必要性を説く
- まとめ
上記3つで記事を書いていきますね。
「子どもの勉強」やる気にさせる必要はない

やる気にさせる必要はないです。
そもそも「やる気」ってなんですかね?
「よし。やるか」みたいに、何かをするときの気持ちだったりしますけど。ググって調べると「欲求」なんかを意味するようです。
では、つぎに自分、つまり子どもに勉強をさせようとしている親自身、やる気になったことを思い出してください。
「色いろ思い出した」「無理やりひねり出した」「記憶にございません」
思い出せましたか?
大半が無理やり思い出したのではないでしょうか?
ひねり出したその記憶はどうですかね?やる気を出して良かった楽しい記憶ですか?
「あの時は、頑張って良かったな」そう思った。だから「やる気を出して良かった楽しい記憶」がある。これでは残念ながら「やる気を出して良かった楽しい記憶」とは言えません。これは、頑張った結果が良かった。または満足。だから「やる気を出して良かった楽しい記憶」となっている訳です。これでは、やる気を出している時が楽しかった理由にならないですね。
ちょっとややこしかったかもしれませんが、やる気を出さないと、やろうとしないことは、基本楽しくないこと。苦痛を要することだということが分かったかと。子どもから言わせれば勉強なんてシンプルに嫌なことなわけです。
では、また質問です。
嫌なこと、やろうと思いますか?
子どもの思考は大人と違ってとてもシンプル。その思考が行動になるんです。
嫌なこと=やりたくない
楽しいこと=やりたい
なので、ゲームなんかはやる気がないけど何時間もやっているんじゃないですかね?
お酒が好きなら、やる気なんてなくてもグイグイ飲めちゃいますよね。
つまり、そういうことです。
やる気があろうがなかろうが、やらなければならない
上記の通りです。答えはいつもシンプルです。
では、どうやって机に向かわせるのか?
必要性を説く

そんなことかと思うかもですが事実だから仕方ないですね。
- どうして勉強をした方が良いのか
- どうして学校へ行くのか
上記2つの理由でOKです。
そして、この理由は親が言う必要があります。親が言うからこそ、子どもの心にその言葉が残ります。もちろん、大人になってから、恩人と呼べるような人に出会うかもしれない。でも、恩人と言えるのは、その子が現時点で、ある程度満足のいく状態で過ごせているからこそ、そう呼べているはず。底辺で這いながらも努力を続け、それを認められ、励ましてくれた人が恩人となるわけです。ということは、底辺で努力ができなかったら恩人となる人に認められないから恩人にはならない、となります。底辺じゃなくとも、這い上がるには、それ以前、つまりは幼少期に受けた価値観が影響します。そんなとき、親の言葉が脳裏を過る思いませんか?
【僕が子どもに言った言葉】
- 運動よりも勉強の方が向いている
- 長期的には勉強が有利
このくらいです。他にも言っていると思いますが忘れました。その程度です。
「勉強をやりなさい」この一言で子どもに勉強をさせるのって、冷静になって考えるとそこそこ乱暴ですよね。やらないと駄目な理由も分からないのだから、そうりゃあ子どもも不貞腐れてしまいます。自分の立場に置き換えればそんなこと容易に想像できるかと。
これは余談ですが、勉強の好きな子っていると思うのですが、あれは好きだからやっている訳です。やる気なんかなくてもできます。では、その子がゲームを3時間しろと言われたら、そこそこやる気を出さないとやろうと思わないはず。ようは、それが勉強かゲームだけの違いです。勉強が好きならラッキーですが、やる気が育っているのかと考えるとどうでしょう?
習慣化が大切
やる気よりも大切なことがあります。
習慣化が大切
僕の子どもは毎日机に向かっています。朝は、ごはんが用意できるまで少し勉強して、食べ終わったらまた少しやっているようです。
勉強は電子辞書で調べながら自分でしています。このことは、過去記事にも書きました。
【過去記事】【 体験談 】小学生/無駄にならないプレゼント【 電子辞書は長く使える 】
教材は僕が選んだものですが、「勉強やった?」とは聞きません。
どうやって習慣付けたか?
答えは簡単です。
一緒にやる
以上です。
僕は、子どもが自分で勉強ができるレベルになるまで一緒にやりました。今から思うと、よく時間を作っていたなと思うことはあるけど、やるか、やらないかは本人次第です。ここは親が問われるところ。
とはいえ時間がないのも事実。
そんな時は、塾とかになると思う。僕は子どもを塾に通わせてないので何とも言えないのが正直なところです。ごめんなさい。
勉強が全てではない
ある程度の勉強ができることは最低条件としてありますが、だからといって勉強ができる=お金が稼げる。とはなりません。もちろん、勉強ができる=幸せ。ともならないです。
- 人に認められる
- 必要とされる
- ストレスフルな環境を変える
- ある程度のお金がある
- 健康である
上記5つが満たされれば幸福度は高いはず。見て分かるように「勉強ができる」が入る余地はないでしょ?
まとめ

結論:やる気が無くても、やればいい
なにも、子どもに限った話ではないです。大人にでも言えること。
じつは、上記のことは、こんなことを書いている僕自身にも言い聞かせている言葉です。僕は、勉強の必要性が分からなかったんです。小学校3年くらいの国語と算数でも問題ないじゃんって思ってました。しかし、社会はそんな簡単ではなかったです。とびっきりのコネがあれば別だけど、僕みたいな一般人は成績という数字が示す努力で評価される。それが現在の社会システムじゃないですか?でも、これは良いことです。ほとんどの人にチャンスがあるということ。このシステムがこのまま続くのか分からないけど、それでも勉強をして知識を得、知恵を生み出すことには大きな利がある。
「テレビやユーチューブなんか見ていると、勉強なんて関係ない」そんな反論もあるかもしれないけど、それはごくごく一部の成功者を見ているにすぎない。
成功者の足元には大勢の人が上手くいかないでいるのを忘れてはいけない。
僕は、下から見ているとそんな風に思う。高みに行ったことがないから憶測でしかもの言えないけど、高い所から見た景色に感動したこと、あるでしょ?
ということで今回は「子どもの勉強」やる気にさせる必要はない【やる、やらないの問題】というテーマで話してみました。
参考になれば幸いです。
最後まで付き合ってくれてありがとう。それでは素敵なワークライフを。
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