人生に意味はない/目の前の課題を熟すだけが人生【レールの上を走れ】

LIFE

どうも、こんにちわ。主夫歴10年以上のマサトです。
一生懸命レールの上を走ってます。

さて、突然ですが、人生ってなんだろう?
自分は何のために生きてるんだろう?
このまま自分はどうなって、どこにいくのだろう?
そんな疑問を持ったことないですか?

結論:人生に意味なんてありません。教えてくれる人もいません。

とはいっても、僕も随分人生について考えてしまう質でして、気を抜くと「僕が生まれた意味」とは?
なんて考えてしまいます。

そこで今日は「人生に意味はない/目の前の課題を熟すだけが人生」
こういったテーマで記事を書いていきます。

※この記事は、過去の自分(当ブログ運営者・マサト)へ向けたアドバイスです。

人生に意味はない/目の前の課題を熟すだけが人生

人生に意味はない/目の前の課題を熟すだけが人生


冒頭でもふれた通り「人生に意味はない」というのが僕の考えです。

人生を超簡単にまとめるなら「生まれ、そして死ぬ」ただこれだけ。
しかし、ただこれだけのプロセスに人は魅了される。

答えのない問いにひたすら向き合おうとする。
答えのない未知のものには魅力がある。それは、人間の脳が優秀過ぎるがゆえ。

脳はバグだらけと科学者は言うけれど、そのバグも脳が人に見せるのなら、その光景は正解です。そうした方が人間のためになるということ。

なので「人生に意味はない」ということにも意味がある。となる訳だけど……。

人が作り出した時間という太陽の動き

時間は待ってくれません。なにもしなくとも。なにをしようとも。客観的に見る時間は一定です。

人生の意味を10年考えようと10秒考えようと答えは同じです。「意味なんてない」です。

例えば、人生の意味を考え、人生の意味を解決するのに「まだ見ぬ何かを開発する」のなら「人生の意味」を考え悩むのに意味がある。そうじゃないなら、意味なんて探さない方がいい。時間を無駄に使うことになる。

人生の意味を知るために、リュック1つで旅をする人がいるけど、あれは旅をして色々な人や文化に触れるのが好きなだけであって、それで自分の人生の意味を本当に分かったとは言えない。誰かの思想や価値観に共感しただけではないだろうか。それでも、それが人生というなら、その人にとっては「人生の意味」となるかもしれない。

あなたは(過去の僕)1人旅がしたいとか、田舎にしばらく住みたいなどと言うが、それは本心か?なにかに流されているだけじゃないのか?例えば、テレビや映画・誰かのブログ。ほんとにそれが、あなたが心から欲しているものなのか?

もしかしたら、それは今の現状から逃げたいだけじゃないのか?どうなのか?

逃げることを否定しているのではない。むしろ肯定している。僕は色々なものから逃げていると思ってる。そこになぜか羞恥心が疼いてしまう自分がいる。羞恥心を感じることに悩んでいる。

残された時間に目を向けるのではなく、規則正しく動く太陽に意識を向けるべきだ。

なにも解決しない事実

僕が中学生のときに母が熱を出して、僕は学校を休んだ。学校へは連絡をいれず、その日は母の看病をして過ごした。

休んだことを看病という言葉で正当化した自分。いまから考えるとよくあのタイミングで母が熱を出したなと思う。

その日から僕は学校へ行かなくなった。ずっと行きたくなかったから、ようやく訪れたチャンスを僕は掴んだことになる。ただ、問題はさらに大きく膨らみ始めた。

なにもしないことを人生は許してくれない。立ち止まることを人生は許してはくれないんだ。そのときの人生とは誰のものでもない僕自身。

人生は自分自身だということ。人生について考えているということは自分自身について考えるということ。

「考えるんじゃない。感じるんだ」これは、ブルースリーのセリフ。僕はこの言葉が好きだ。

それから始まった地獄のような日々。先生は家に来る。友人は家に来る。幸い親にはそれほど責められはしなかった。ほとんど誰も、僕を責めはしなかった。責めたのは他の誰でもない、僕自身だった。

学校へ行かないといけない。そう思ったが後の祭り。先にも後にも動けない恐怖に僕は包まれていた。

失敗をして、後に戻れるのは幸せなんです。その場から動けなくなる陰鬱に比べれば。

この歳になっても、まだあの時のことを僕は考えてしまう。なぜ登校拒否をしたのだろうと。

答えは今も分からないままです。ただ、その時の先生。そのときの友人。そのときの親の対応。その全てに感謝している。ありがとうと言ったことはない。でも心の中では今でも感謝の気持ちを持っている。そう思えるのはきっと頑張ったからだ。僕はあの時、頑張っていた。なにもせずに家に引きこもっていたけど、僕は頑張っていた。誰にも伝わらないだろうけど、それでも僕は頑張っていた。頑張って、頑張って、3年になってから学校へ行った。そのとき頑張ったから、振り返って感謝が出来るんだ。感謝ができるのは、あなたが頑張った証拠なんです。

目の前に問題があるなら、まずはそこから手を付けるべきだ。それを見て見ぬ振りをしているからいつまでも問題に追い詰められる。そんなことをしていると太陽は動き続け、いつも間にか目を向けることさえできなくなってくる。

未解決のまま放浪したところで問題はそのまま、もしくは悪化していることがほとんど。

問題を放置して、変わったのは自分の気持ちだけだろう。それも一過性のもので何もしなければ結局、すごろくのように「振りだし」に戻ってしまう。

答えのないものを必死に考えようとするあなた(過去の僕)は素晴らしいけど、太陽はどんどん動き、それと同じように時間は進んでいる。

事実から目を背けるな。

探すべきもの

探すべきもの


探す必要はない。

本当に必要なものは探して見つかるものじゃない。

ただひたすらに生きていれば自然と与えられるものじゃないかな。

あなたは(過去の僕)宝くじを買いますか?なぜ買うのか?なぜ買ってしまうのか?人生の意味を探すよりもそれらの意味を探す方があなたの人生を豊かにしてくれるはず。

人生はあっという間と言うけれど、それは過ぎたから言えること。

本当の人生は短いようで長いです。1日24時間も短いようで長いです。それでも、時間が足らない。時間がないと思えるのなら、あなたはすでに人生の意味を見つけている。

それが何か説明できなくとも構わない。誰かに説明する必要もない。誰も求めていないかもしれない。

過ぎる時間が早いと感じるなら、あなたはそのまま目の前にあるそのレールの上を走り続けろ。それでいい。それがいい。

というわけで、今回は「人生に意味はない/目の前の課題を熟すだけが人生」というテーマで話してみました。


僕は中2の途中から中3になるまでの間、約半年ですが登校拒否児でした。その時に感じたことを書いてみました。
参考になれば幸いです。

それでは、素敵な1日を😌

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